例えば、あるものを作る…という目的に対して、複数の国・地域での取り組みがあるとします。昔、よく出会ったアプローチが「みんな同じに揃える」ですが、国・地域が違うということは文化・習慣も経済環境も違うわけですから、ある一部を(例えば同じ装置を世界中で使うとかで)同じにすることはできても、大半は同じにはならないわけです。
もし「同じ管理」を実現しようとするなら、膨大なコストをかけて教育…でも不足で、その国・地域の文化を変えなければ…といった非現実的な議論となり、いつまで経っても答えが出ない。そうこうしているうちに大勢の日本人が出向き、そのまま現地に…となりますがそれでも出来ないのです。

同じやり方・管理を実現することが「目的」ではないのに、今でも耳にすることが少なくないのは「違うことを許容する文化がない」ためなんでしょうか? 違いを許容すると「新しいルール」を策定せねばなりませんから、それよりも「揃えた方が…」の発想だと思いますが、上述の通り「揃える・同じにする」ことの方が遥かに大変なことです。

あるものを作る…といった上位目的や、個々の機能・業務ごとのレベルで目的を揃えることは比較的容易です。しかしながら、調達できるリソースや制約条件には違いがあるのですから、目的達成のために生成する業務実行機能の実体(現実解)はそれぞれに異なるのが自然です。「理想解」を前提とした基準で「現実解」を管理することは出来ません。予め、違うことを許容した上での管理が必要では?と考える理由です。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です